今日は西洋絵画やハリウッド映画を観る上で基礎知識として欠かせない、ダンテの『神曲』〝地獄篇〟についてざっくりまとめます。, 『神曲』は、中世イタリアの詩人、ダンテ・アリギエーリによる著作です。題名なら知ってるって方は多いですよね。, 『神曲』は、地獄篇・煉獄篇・天国篇の3部構成であり、全14,233行からなる壮大な叙事詩です。当時の知識人たちの共通語であったラテン語ではなく、トスカーナ方言で描かれていることが特徴であり、ダンテの書いたイタリア語が現代イタリア語の源流になっているとされています。, 『神曲』の主人公はダンテ自身であり、ダンテ自身が語り手となって、詩人ウェルギリウスに導かれ、地獄・煉獄・天国を生きながらにして実際に訪れ、そこで目にしたこの世のものとは思えぬ出来事、出会った人々(歴史上の偉人からダンテの個人的知り合いまで)と交わした会話などが綴られています。いわば、あの世の観光ツアーですね。, ダンテはこの3部作を1304年から1321年にかけて完成させたと言われていますが、とてつもなく長い期間ですよね。『神曲』はそれくらい緻密で凝った構成をしており、「3」という数字にこだわった作品になっています。, 例えば、先に述べた通り本作は地獄篇・煉獄篇・天国篇の3部構成であることに加え、各篇はそれぞれ33歌で構成されています(地獄篇のみ冒頭のイントロダクションを含め1歌+33歌)。また、歌の各行は3行で1セットとなる韻文で構成されています。, これはキリスト教の三位一体(父なる唯一の神・その子なるイエス・聖霊は一体である)を象徴するとされています。, 『神曲』の著者、ダンテ・アリギエーリ(1265-1321)は、中世イタリア・フィレンツェ出身の詩人です。フィレンツェの政治に携わっていた時期もあり、作品中ではダンテの政治的思想も垣間見えます。, ダンテが活躍した当時の北部イタリアは、フィレンツェをはじめとする都市国家の時代であり、ローマ教皇勢力(教皇党)と神聖ローマ帝国の勢力(皇帝党)に2分され、各地で両党が覇権を争っていました。フィレンツェの街も今のような優美さはなく、破壊と暴力で荒れた惨状だったといいます。, ダンテは教皇党としてフィレンツェの政治に携わっていましたが、1289年のカンパルディーノの戦いにて両党の軍勢は激しく衝突し、教皇党が勝利をおさめます。しかしその後も教皇党は白派と黒派に分裂して敵対するようになるのです。, 当初政権を握った白派に所属したダンテは、1300年に白派の統領に任命されますが、翌年黒派がクーデターを起こして実権を握ります。当時たまたまフィレンツェ市外にいたダンテは自身の不在中に死刑宣告をなされ、故郷フィレンツェに帰ることができなくなってしまいました。ダンテは二度とフィレンツェの地を踏むことなく、ラヴェンナにて享年56歳で亡くなりました。, 『神曲』においても、ダンテが生まれ育った故郷であり、また自身を追放した都市であるフィレンツェへの愛、またそれと同じくらいの憎しみが滲みでています。, ベアトリーチェは、ダンテが生涯愛したとされる女性です。ベアトリーチェはダンテの近所の裕福な家の娘で、ダンテは少年時代に当時9歳のベアトリーチェに出会い、被創造物とは思えないその美しさに神の啓示であるかのような大きな衝撃を受けます。それから再会したのは9年後、ふたりが18歳の時でした。ダンテを認めて軽く挨拶した美しきベアトリーチェに、ダンテはものも言えず立ちすくむのでした。, ダンテはベアトリーチェへの愛を、世間一般で定義されるようなそれとは区別しようとし、ベアトリーチェには大して興味もないようなふりを装って他の女性を好いているかのような態度を見せたりします。(現代に生きる凡人から見たら相当こじらせた人です), やがてベアトリーチェもダンテも別の相手と結婚しますが、ベアトリーチェは24歳で若くして夭逝、ダンテはその知らせを聞いて深く嘆き悲しんだといいますが、ベアトリーチェの神格化(永遠の淑女、愛の象徴)の傾向はどんどん強まっていきます。, ベアトリーチェはダンテの生涯を通じ理想の女性、神聖な存在であり続け、『神曲』でも彼女は聖書のなかの聖人たちと同列(もしくはそれ以上?)に扱われ、賛美される存在です。, 他の女性への賛歌をこれほどまでに高らかにうたったダンテの奥さんは一体どんな気持ちだったんでしょう。, ここまで、ダンテの『神曲』“地獄篇” について駆け足で説明してまいりました。『神曲』のなかでも“地獄篇” は特に多くの絵画・映像作品でテーマとして取り上げられているほか、テーマとまではいかないけれど、地獄を描く際にはダンテの描いた地獄がベースになっていたりします。確かに中世の時代にこんなに具体的な地獄の描写を突き付けられたらトラウマになり、語り継がれることになりそうです。, 罪の重さのジャッジが、現代日本人からすると違和感あるところもありますが、もしわたしがダンテなら、最下層にどんな人々を置くだろう…と考えたりしてしまいますね。, もしわたしなら、自分の罪を他人に着せた人々を置くかな、なんて。人間である以上、罪は犯すものですが、自分の過ちを自分で背負おうとせず、ましてや罪のない他人に被せる、というのが一番美しくない気がします。, イスカリオテのユダはまあ納得できますが、ブルータスあたりは最下層にいるべき人かなあ。理念なき裏切り、自分可愛さの裏切りならわからなくもないですが。, というひとり言はこの辺に、また煉獄篇・天国篇についてもいつか書いていきたいと思います。, 映画と旅をこよなく愛する アラサー独女。洋画中心。 マフィアや犯罪系の映画が好み。 駐在員として海外在住。 平和主義者のISFP カフェイン中毒 好きな食べ物はスパイスカレーと蕎麦, 人生の道半ば、ふと気が付くとダンテは暗い森の中に迷い込んでいました。森は荒涼としており、太陽は沈みかけ、周囲は暗く不吉な雰囲気です。, ● 当時人生は七十年と考えられており、「道半ば」とは、ダンテが35歳の時、白派の統領となった西暦1300年の年でした。, ダンテは引き返そうとしましたが、そこに豹・ライオン・雌狼が現れ、ダンテの行く手を阻みます。, 恐ろしい状況に、誰か助けてくれ…と祈ったとたん、眼前に人影が現れます。「誰なのです?」と問いかけるダンテに人影は、「わたしはかつて人間であったが今は違う。いつわりの神の時代、アウグストゥスの治めるローマに生まれた。トロイアから逃れたアンキセスの息子のことを詩にうたった」と説明します。, ● 「いつわりの神の時代」とは、キリスト教以前、ギリシア・ローマの神々を信奉していた時代を指します。, ● トロイア戦争の英雄、アエネーアースの父の名はアンキセス。まどろっこしい説明ですが、人影の正体は叙事詩『アエネーアース』を綴った詩人、ウェルギリウスでした。, 憧れの偉大なる詩人ウェルギリウスの登場にダンテは驚き興奮し、敬意を表します。ウェルギリウスの言うには、この恐ろしい状況から逃れる道はただひとつ、, 東京・上野の国立西洋美術館では、ロダンの制作したブロンズの『地獄の門』が見られます。, もう十分地獄ですね。重い罪を犯してしまった人々は一体どんな有様になっているのでしょう。。, 第1層は「リンボ」と呼ばれるところ。ここには、アダム、ノア、モーセ、アブラハムなどの、旧約聖書中の偉大な人々や、カエサル、ソクラテス、アリストテレス、セネカなどの歴史上や哲学史上の高名な方々がいらっしゃいます。, そ、そもそも、キリスト教がなかった時代に生まれているんだから仕方ないよね…と言いたいところですが、だめなんだそうです。神と契約を交わしイスラエルの人々を導いたモーセまで地獄にいるなんて、意味不明です。神様だってその辺は理解してくれそうなものですが…。ちなみにダンテの案内役をしているウェルギリウスも、ここの住人なのだとか。天国には行けなかったんですね。, とはいえ、地獄といっても、ここにいる人々は特に罰を受けることもなく平穏に暮らしています。, ミノスを通りすぎると、そこには風にびゅーびゅー飛ばされて彷徨っている人々。ここには、, なぜかクレオパトラも第2層にいて、「え、カエサルも同罪なんじゃ…」と思わずにはいられません。なんなら、カエサルって色んな人妻をたぶらかしていた古代でも有数の色男だったはず。なんでカエサルは安穏と第1層にいるんでしょう、不公平感が湧くのを禁じえません。, 必要以上に消費することなく、困っている人々に分け与えなさいってことなのかも。食品ロスの問題など考えると、たしかにそうなのかもしれません。それに食物もいのちだということを考えると、生命をいたずらに消費していることにもなりますもんね。。, この層の人々は、汚い泥にまみれながら、三つの頭を持つケルベロスに追い立てられ、爪で引き裂かれたり皮を剥がれたりしてらっしゃいます。。, この層はあたり一面おびただしい数の墓が並んでおり、人々は棺ごと炎で焼かれ恐ろしい叫び声をあげています。。, これらの人々は、追いかけられ鞭で打たれたり、排泄物の沼に浸かったり、熱い瀝青(アスファルトの原料だとか)の中で煮られたりしています。また、地面に磔にされていたり、重い法衣を着させられたり。。この層にくると、罪に応じて罰もオーダーメイドになってきています。未来を見通そうとした人々は、前ばかり見すぎたために頭を背中側にぐるりと回されています。。なんとイスラム教の開祖ムハンマドもこの層に。, いよいよ地獄の最下層、ここは氷地獄、氷の下には凍てついた亡者たちの顔、顔、顔――。最下層は地球の中心部、そのど真ん中には、かつて神に逆らった堕天使、, 地獄の旅を終えたダンテとウェルギリウスは、ルシファーの体毛にしがみつきながら地球の中心へと降りていきます。次の行き先、煉獄山は、地表にあった地獄の入り口に対して地球の反対側にあるのです。ルシファーの胴体を通りすぎたとき、ダンテが気が付くとルシファーの足をさかさまに見下ろしていることに気付きます。地球の中心を抜けたので、重力が逆転したんですね。非科学的な設定なのにここだけ妙に科学的です。. 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Design氏の楽曲は「神曲」と,ダンテの叙事詩は二重かぎかっこで『神曲』と書くことにする。また,引用元の動画説明欄では歌詞が空行によって2行から8行のまとまりで区切られている。これを最初から第1節から第10節と番号づけして呼ぶ。(例えば「憂鬱な日々を」から「悪意を誘う」までは第2節)また後に説明するように,楽曲「神曲」には叙事詩『神曲』の登場人物であるダンテとベアトリーチェを投影した人物が出てくる。混乱を避けるためにR Sound Design氏の楽曲中に出てくるそれらの人物をそれぞれダンテ(R),ベアトリーチェ(R)と書き,叙事詩『神曲』で登場するダンテとベアトリーチェはダンテ(詩),ベアトリーチェ(詩)と書く。, 「神曲」の歌詞は前述のように『神曲』を元にしている。ただし,単純に典拠をなぞって歌詞は書かれていない。『神曲』の世界観を基礎とし,R Sound Design氏独自の解釈を行い新たな詩的世界を作り出している。, 歌詞は「ボク」とそれと同伴する何者かが堕天するさまを「ボク」の独白と対話部分からなりたっている。仮に『神曲』を完全になぞらえているのであれば,「ボク」は『神曲』の主人公ダンテ(詩)を投影した人物,もう一人の独白部分で「キミ」と呼ばれる人物(なお第3節と第7節の対話部分に出てくる「キミ」は後述のように独白部分の「ボク」であることに注意)は案内人としてのウェルギリウスもしくはベアトリーチェ(詩)ということになるがことはそう単純ではない。なぜなら『神曲』の筋は思い悩むダンテ(詩)がローマの大詩人ウェルギリウスや天国にいる神神しいベアトリーチェ(詩)に地獄と煉獄,天国を案内され,ついには神の栄光にあずかり恍惚とした幸福感に包まれて救われるというものである。ところが,「神曲」では登場する二人が堕天するという典拠とはまったく逆の展開になっているのである。, 『神曲』とは異なる「神曲」の歌詞世界をひもとくには登場する二人(「ボク」と「キミ」)が一体どのような人物なのかを明らかにする必要がある。第1節冒頭で「ボク」は「下らない日々を追い越して」と悩める心情を打ち明ける。これは『神曲』地獄篇第一歌*5における人生道半ばで思い悩むダンテ(詩)をただちに連想させる。つまり「ボク」は生きたまま地獄,煉獄,天国を巡ったダンテ(詩)が投影された人物ということだ。(ただし前述のように筋の構造が正反対であるので「ボク」とダンテ(詩)は完全に重なるわけではない)これは第4節の冒頭で「最低なボクは堕天をなぞる」とあるように「ボク」が天国を訪れていることからも分かる。つまり時系列的に「神曲」は『神曲』のあとなのである。, 「ボク」がダンテ(詩)的人物であるとすれば「キミ」が『神曲』でいうベアトリーチェ(詩)を投影した人物であることは明らかだ。, 第8節の冒頭で「最愛のキミが堕天をなぞる」とあるように独白部分の「キミ」は少なくとも天国におり,「キミ」は「ボク」ことダンテ(R)が愛した人物であると分かる。さらに第8節の「生まれたままの肌に触れて」という箇所があるが,これは「キミ」が罪のない者,すなわち永眠後天国に暮らしている人間であることを表しており,(「マテオによる福音書」18・1-6に子どものようになへりくだるものが天国で一番偉いと言う旨のことが書かれてある*6)独白部分の「キミ」が『神曲』のベアトリーチェ(詩)を投影した人物である根拠となる。, もちろん独白部分の「ボク」にしろ「キミ」にしろ典拠とまったく同一の人物像なのではない。しかし少なくとも,「ボク」ことダンテ(R)が地獄から煉獄を経て天国まで旅したこと,ダンテ(R)が「キミ」ことベアトリーチェ(R)を愛していること,ベアトリーチェ(R)は死後昇天したことが『神曲』からこの楽曲に採用された設定である。, 次に対話部分の歌詞に移る。対話を含む節は計四つあるが,どの節も対話を始めた人間が他方に話しかけてそれへの応答が起こる,という形になっている。例えば第3節は「知らない世界を見せてよ」から始まりそれへの答えとして「二度と此処に戻れないよ?」と続く。各対話はまず口を開く人物が何かを頼んだり教えを請うたりして,それへ(念押しやためらいを含みつつ)他方が応える内容である。つまり,生徒役と教師役が交互に台詞を発している。二人は導かれ,導く関係である。ただし二人の対話の気兼ねなさを鑑みると厳密な序列はないようである。, ここで問題となるのは各対話で最初に口を開く生徒訳役とそれに応答する教師役はそれぞれダンテ(R)なのかベアトリーチェ(R)なのかということである。二人は第10節の「冥界の淵で凍てついていた 二度と開かないドアを潜る」から分かるように最終的に地獄へ向かう。二人が堕天することは前述のとおりだが,天国から抜け出したあと地上に向かうのか,地獄に向かうのか歌詞中の「堕天」という言葉だけでは確定できない。それが第10節から地獄こそ彼らの目的地だと明らかになる。ここから生徒役がベアトリーチェ(R),教師役がダンテ(R)と分かる。なぜなら第3節の対話で生徒役は「知らない世界を見せてよ」と言っている。「知らない世界」とは地獄であり,生徒役は地獄を訪れた経験がないことが分かる。つまり,第8節のいう「生まれたままの肌」を持つベアトリーチェ(R)こそ生徒役に他ならない。, なお,対話部分で生徒役が教師役を「キミ」と呼ぶ箇所(第3節,第7節)があるが,独白部分の「キミ」と違ってダンテ(R)を指すので注意して欲しい。, 楽曲「神曲」では天国に至ったはずのダンテ(R)はベアトリーチェ(R)をつれて堕天する。『神曲』は天国篇最終歌*7でダンテ(詩)は喜びと神の栄光に包まれる場面で終わる。にもかかわらず神の愛を体現したベアトリーチェ(詩)を投影した人物と一緒にダンテ(R)を堕天させる「神曲」の展開は,R sound design氏の創作力の賜物である。では彼らを地獄に導いたものは何だったのか。答えをひもとく鍵となるのは歌詞のところどころに見える「愛」という言葉である。「歪な愛」(第4節),「空虚な愛」(第8節),「穢れた愛」(第10節),いずれも喜びに満ちた「愛」ではない。これらのあとに「ドア」という言葉が続き,それは地獄の階層への入り口を表している。彼らの「愛」は地獄行きに値する罪なのだ。, 罪深い「愛」の具体的な関係についてはいくつかもっともらしい解釈が可能だ。姦通,肉欲の奴隷,同性愛の関係などだ。(ちなみに地獄の第二の圏谷は肉欲の罪を,第七の圏谷第三円では男色者を罰している*8)しかし「神曲」の歌詞から「愛」の具体的内容を決定するのは難しい。思うに曲を聴く者の解釈に委ねられているのだろう。そのためここでは「愛」を貫いた故にどのような報いを二人は受けたのかを分析することでその深層にせまることにする。, 「神曲」の歌詞には地獄を想起させる語句が散見される。まず第4節に「放縦に塗れ佇んでいた 引き返せないドアに触れる」とある。「放縦」という語だが『神曲』地獄篇第十一歌第79行から第84行*9でウェルギリウスがアリストテレスの『倫理学』をひきつつ地獄で罰せられている罪を放縦,邪悪,狂おしい獣性の三つに区分けしている。そして放縦の罪はその中でも罪の程度が軽く,地獄でも地上に近い階層で罪人は処罰されている。放縦の罪は第二の圏谷から罰せられる。(第一の圏谷は先例洗礼を受けていない人びとがいる辺獄であり,罪が罰せられているわけではない。『神曲』地獄篇第四歌第34行から第36行を参照*10)つまり「ドア」とは第二の圏谷の入り口なのである。(ただしここでは「放縦に塗れ佇んでいた」を「ドア」に対する修飾部と解釈した。仮に「塗れ佇んでいた」を述部と解すると少し意味が違ってくる。)(ちなみにそこには番人ミノスが立っている。地獄篇第五歌第1行から第4行を参照*11), そして第8節に「泥濘の先に閉ざされていた 一度潜ったドアを開ける」と再び「ドア」の語が現れる。『神曲』地獄篇第七歌第109行から第116行*12において忿怒の罪を犯した人びとが第五の圏谷で泥まみれになっている描写がある。故にこの「ドア」は第六の圏谷の前にある地獄の町ディースの城門に他ならない。さらに最終節の第10節では「冥界の淵で凍てついていた 二度と開かないドアを潜る」とある。「凍てついていた」「ドア」とは地獄の最深部の入り口を指しているの。なぜなら地獄の最深部である第九の圏谷では裏切りの罪を犯した人びとが氷づけにされているからである。(地獄篇第三十二歌から第三十四歌*13)この圏谷は四つの領域に分かれており,最も深い領域には恩人を裏切った人びとが氷づけにされている。(地獄篇第三十四歌*14), 以上引用した第4節,第8節,第10節で,ダンテ(R)とベアトリーチェ(R)の二人が徐徐に地獄を下り,最終的に裏切りの罪を罰する最深部へ到達することを表現している。つまり二人の罪が単なる「愛」の罪ではなく「裏切り」の罪であることを示す。もし単なる「愛」の罪なら肉欲の罪を罰する第二の圏谷や男色の罪を罰する第七の圏谷が最終到達地となるはずだからだ。, 二人の「裏切り」が神に対しての裏切りであることは容易に結論できる。『神曲』においてベアトリーチェ(詩)は天国に暮らし(しかももっとも神に近い至高天を案内できる),ダンテ(詩)はベアトリーチェ(詩)に導かれ天国を旅し神の栄光と愛に包まれている。にもかかわらず,「神曲」においてダンテ(R)とベアトリーチェ(R)は天国を抜け出すという神に背く行動をとる。これが二人が地獄の最下層に至る理由である。, 二人は地獄へ向かう。地獄は罪人を罰するところである。ではダンテ(R)とベアトリーチェ(R)は自らの欲望を遂げようとして神をあなどり不本意にも地獄へ落とされたのだろうか。, 少し歌詞中の「罪」に言及している箇所を考察してみよう。ダンテ(R)の独白部分である第4節の「そんな罪を抱えたままでいたいだけ」と第8節の「そんな罪を重ねたままでいたいだけ」を見れば分かるとおり,少なくともダンテ(R)は自らの罪を自覚しており神の罰に抗わず,それを受け入れているのだ。ベアトリーチェ(R)はどうだろう。第3節でベアトリーチェ(R)が「知らない世界を見せてよ」とダンテ(R)に言葉をかけ「二度と此処に戻れないよ?」とダンテ(R)が返す。そしてベアトリーチェ(R)はさらに「キミがいるならそれでも」と答える。第7節にも同様の会話がある。ベアトリーチェ(R)は地獄行きを恐れていない。(むしろダンテ(R)の方にためらいがあるかのようだ)決然と罰を受け入れ,それでも彼女の心を動かすものに従っている。, 彼らの最大の罪は神への裏切りだったがその契機となる罪は「歪な愛」(第4節)であった。『神曲』はダンテ(詩)が人生道半ばで生きたまま死後の世界を巡る話である。『神曲』のその後を想像すれば,ダンテ(詩)は天国のベアトリーチェ(詩)と別れ,地上世界に戻ることになるであろう。「神曲」の主人公たちはその別れに肯んぜず,天国の栄光よりも二人の愛を選んだ。彼らは離ればなれになるよりも地獄でともに過ごすことを選んだのである。非合理な点で「歪」で幸福をもたらさない点で「空虚」(第8節)で罪深いという点で「穢れた」(第10節)愛である。だが,そのようなあらゆる点で誤った道を進ませる強力な意志。それは肯定や否定,善と悪,合理不合理を越えた何かである。「神曲」の主題はすべてを捨て去ることも厭わない愛ではなかろうか。そして人間は自らの願いのために全能の神に反抗するのかもしれない。その体現が「神曲」の主人公二人なのである。, なお『神曲』地獄篇において罪人は単に非難されているだけではない。憐れみをかけられている者もいるし何か強い意志を感じさせる者もいる。地獄篇第五歌第76行から第142行*15でパオロとフランチェスカの悲恋にダンテ(詩)は涙をこぼしているし,第三十四歌第65行から第67行*16で第九の圏谷に裏切りの罪で氷づけにされているプルトゥスは「身をよじり悶えているが声一つたてぬ」,同じく氷づけのカシウスは「筋骨隆々としている」とその力強さを描写している。楽曲「神曲」における二人のためらいや力強い意志を彷彿とさせるではないか。, 「神曲」の主要な問題についての解釈は以上で終了である。だが,歌詞全体にわたって行ごとの意味や典拠を明らかにしてまとめておくこともこの楽曲を鑑賞する上で便利だと思うので以下にそれを補足として載せておく。以下の通釈には前述している部分もある。が,抜けがあるといちいちその記述を探すのも読者の手間となるのでもう一度書いておいた。冗長なところもあるが「神曲」解釈の事典として使用してほしい。, 「午後」は地獄篇第二歌の時刻は第1行*18にあるように夕方を連想させる。「キミ」はベアトリーチェ(R)を指す。「笑顔」と記述するのはダンテ(R)が「キミ」に惹かれている一つの表れである。, 「ボク」はダンテ(R)を指す。「理性が崩れてく」は前の「赫」が狂気の象徴である根拠である。, 「眠らない星」は常に動く星たち,天国篇における天体のことか。「キミ」はベアトリーチェ(R)のことだ。, 「蒼」は英語でblueで憂鬱,猥褻のイメージがある。*19憂鬱は本節冒頭の通りである。少し大胆な解釈だが猥褻のイメージによって二人の肉欲の罪を暗示した可能性もある。, 「ボク」はダンテ(R)である。「悪意」とは自らとベアトリーチェ(R)を地獄に落とす罪を犯すことであろう。, この話し手はベアトリーチェ(R)で「知らない世界」とは地獄のことである。『神曲』においてベアトリーチェ(詩)は元生者である。それを投影しているベアトリーチェ(R)も元生者で地上に暮らしていた経験があるのだから「知らない世界」が地上世界の可能性があると考えてはならない。, 話し手はダンテ(R)である。「此処」とは天国を指す。ベアトリーチェ(R)は『神曲』と同様天国にいた。, この言葉はベアトリーチェ(R)によるものであるから「キミ」はダンテ(R)を指す。独白部分の「キミ」とは異なる人物を指すことに注意。, 話し手はダンテ(R)である。息のできないところは水中である。第6節に出てくる「イビサの海」に入ることを指すのであろう。, 「ボク」はダンテ(R)である。この詩句はダンテ(R)が天国を訪れたことの根拠の一つである。, 天国篇第三十歌第115行と第126行*20,三十一歌第1行*21で天使が薔薇の隊列をなして登場しており,「薔薇」は天使を表す。, 「歪な愛」はダンテ(R)とベアトリーチェ(R)の間の不義の愛を指すものか。しかし,この罪はさらに重い恩人(神)を裏切る罪の序章に過ぎない。, 放縦の罪についての記述が地獄篇第十一歌第79行から第84行*22にある。これは罪の中でも比較的軽い部類に入り,地獄も地上に近いところにある。, 先の「塗れ佇んでいた」がこの行の「ドア」を修飾するとすれば「ドア」とは第二の圏谷の入り口を指す。なぜなら放縦の罪とされる罪を裁く階層の中で最初に訪れる階層が第二の圏谷だからだ。なお第二の圏谷の入り口には番人ミノスが立っており,ダンテ(詩)に「門が広いと思って勘違いするのではないぞ!……」(地獄篇第五歌第20行*23)と言葉を残す。しかし「塗れ佇んでいた」が述部であるとすれば,先の行はダンテ(R)が放縦の罪を犯していることを指す。個人的には前者の解釈をとりたい。というのも「神曲」の音の流れが「佇んでいた」と「引き返せない」の間で切れないからである。また第8節,第10節の類似した詩句でも「佇んでいた」に該当する語は修飾語である。, 一方「引き返せない」という言葉は地獄に一度入れば二度と戻れないことを示す。地獄と地上の境界にある門に刻まれている言葉「われを過ぎんとするものは一切の望を捨てよ」(地獄篇第三歌第9行*24)を参照して欲しい。「神曲」が地獄行きを描いていることがこの行からも分かる。, 「罪」は肉欲の罪あるいは地獄行きを選び神を裏切った罪である。「抱えたままでいたいだけ」から分かるように少なくともダンテ(R)は罰を受け入れている。第8節の第6行と同様である。, 第2節にあるようにダンテ(R)は憂鬱の情に駆られていることを指す。(地獄篇第一歌も参照), 「遊星」は地球を指し,それを包む「皓(しろ)の魔法」とは天国のことを指す。白は天国篇第一歌第45行*25で光の色,太陽の色を表し,天国篇第三十歌第129行*26と第三十一歌第1行*27で至高天(天国の最高階層)の天使達は白衣に包まれている。この部分が流れているとき動画の背景が地球であることも「遊星」が地球を指す証左である。, 吝嗇の罪を罰する地獄は第四の圏谷(地獄篇第七歌第41行から第42行*28)である。前節の第二の圏谷の入り口よりも深くなっている。「ボク」はダンテ(R)のことである。, ベアトリーチェ(R)の言葉。アンダルシアはスペイン南部の地中海に面した地方でフラメンコ発祥の地*29である。, ダンテ(R)の言葉。バイレはフラメンコの舞踊*30のことでイビサは地中海のスペイン領イビサ島を指す*31と思われる。『神曲』煉獄篇第一歌*32では煉獄は小島にあり,第3行の地獄をさす「残酷な海」をあとにしてダンテ(詩)はそこに到る。「イビサの海」は地獄であり,この行は地獄へと入る前の会話ということになる。なお「アンダルシア」や「バイレ」はある種の享楽的イメージを醸し出しており,二人の罪の内容を示唆するのかもしれない。, ベアトリーチェ(R)の言葉。地獄の世界を見ることを望んでいるのか。ここからベアトリーチェ(R)は地獄を恐れず,神の罰を受け入れる意志を持っていることが分かる。, ダンテ(R)の言葉。地獄の永遠の責め苦から逃れることはできない。あるいは罪を犯せば罪のない状態に戻ることはできない。, 「キミ」は既に天国にいたことが分かる。「キミ」がベアトリーチェ(R)である根拠だ。, 「生まれたままの肌」とは罪に汚れていない状態を指す。(「マテオによる福音書」18・1-6*33)つまりベアトリーチェ(R)のことである。この楽曲がベアトリーチェ(R)の天国からの堕落を描いていることがここからも分かる。, 「空虚な愛」は地獄に行く直接の契機である二人の愛の罪を指すのであろう。地獄に落ちる以上その愛の代償は責め苦である。, 地獄篇第七歌第109行から第116行*34は第五の圏谷で忿怒の罪を犯した罪人が泥まみれになっているさまが描かれる。「泥濘」とはその圏谷を指す。, 「ドア」は「泥濘の先」,すなわち第五の圏谷の出口であり,地獄篇第八歌第81行から第83行*35にでてくるディースの街の城門を連想させる。また「一度潜った」から語り手が既に地獄を巡ったことがあると分かり,彼がダンテ(詩)を投影した人物であることの根拠である。, ベアトリーチェ(R)の台詞。『神曲』で地獄にダンテ(詩)が入る直前の時刻は夕方であることを参照。(地獄篇第二歌第1行*36), 地獄篇第一歌第3行(平川祐弘,p.6)でダンテ(詩)がさまよっていた場所が「森」である。, ダンテ(R)とベアトリーチェ(R)が一緒に堕天することが分かる。二人の罪が愛ゆえに犯されたことを示唆する。, 「穢れた愛」はその愛ゆえに神を裏切る罪を犯し,地獄行きの原因となったダンテ(R)とベアトリーチェ(R)の間の愛である。, 最下層の地獄である第九の圏谷を指し(地獄篇第三十二歌から第三十四歌*37),恩人を裏切ったものはその最も奥で氷づけにされている。(地獄篇第三十四歌*38)裏切った相手は神であり,自ら天へまねかれ神の栄光を受けたのにダンテ(R)は地獄へ再び戻り,のみならず天上のベアトリーチェ(R)を堕落させる罪を犯した。, 「二度と開かない」とあるのは地獄に入れば二度と戻ることはできないからだ。「われを過ぎんとするものは一切の望を捨てよ」(地獄篇第三歌第9行*39)を参照。「ドア」は恩人を裏切ったものを罰する第九の圏谷の第三円の入り口である。, 「こんな罪」とは恩人である神への裏切りのことだろう。(地獄篇第三十四歌*40)「魔法が解ける」は第1節,第2節,第5節にある赤(狂気),青(憂鬱),白(救い,恩寵)の魔法が解けるということか。, 絶唱。罪の意識,ベアトリーチェ(R)との愛を貫ける喜び,神にも抗う強い意志,罰への恐怖,運命への諦念などさまざまな思いが混じった魂の叫びである。, 参考文献『神曲』(平川祐弘訳,新装版,河出書房,1992年)『聖書』(フェデリコ・バルバロ,講談社,1980年)『ジーニアス英和大辞典』(小西友七・南出康世編集主幹,大修館書店,2001年)参考サイト『コトバンク』https://kotobank.jp, *1:https://kiminemai.hatenablog.com/entry/2019/01/26/050000, *2:「神曲/R Sound Design feat. >STAGEA ポピュラー 5〜3級 Vol.115 アニソン; STAGEA ポピュラー 5〜3級 Vol.115 アニソン神曲・セレクション2 ヤマハミュージックメディア ダンテ・アリギエーリさんの名言・格言・英語 一覧リスト. ダンテ・アリギエーリの代表作 ダンテの代表作は古代ローマの詩人ウェルギリウスと共に地獄(Inferno)、煉獄(Purgatorio)、天国(Paradiso)を旅するテルツァ・リーマで構成される叙事詩『神曲(La Divina Commedia)』であり、 … 2017/10/12 - Pinterest で jptime さんのボード「ダンテ 神曲」を見てみましょう。。「神曲, ダンテ, 神」のアイデアをもっと見てみましょう。 ダンテもまた、そのような雰囲気の中にあった。3.の演繹的説得性が神曲の場合重要なのだが、ダンテの表現する対象とその表現とは対象の具体性とその意義とに重なり合って、テクストの構成全体とテクストとの関係をより確かなものにしている。 ダンテ『神曲』の数的構成について 47 も近いものである数は、それ故、喜びをもたらす。 こんにちは、いっくんです。今日は西洋絵画やハリウッド映画を観る上で基礎知識として欠かせない、ダンテの『神曲』〝地獄篇〟についてざっくりまとめます。いっくん映画や絵画を観る中で気になった時に参照してみてね。そもそも、『神曲』とは? 3. 【1】 3作目はダンテの『神曲』から プッチーニの『三部作』と呼ばれるオペラのうちの3つ目の作品が、この『ジャンニ・スキッキ』です。このオペラの基になった話は、有名なダンテの『神曲』。 初音ミク-Dante」https://www.youtube.com/watch?v=_n-IayJaLt8(最終閲覧:2019年10月17日), *3:https://ja.wikipedia.org/wiki/神曲(最終閲覧:2019年10月17日), *4:https://www.youtube.com/watch?v=_n-IayJaLt8, *19:『ジーニアス英和大辞典』(小西友七・南出康世編集主幹,大修館書店,2001年), *29:『コトバンク』「ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 アンダルシア〔自治州〕」https://kotobank.jp/word/アンダルシア自治州-29320(最終閲覧:2019年10月18日), *30:『コトバンク』「ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 フラメンコ」https://kotobank.jp/word/フラメンコ-126414, *31:『コトバンク』「ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 イビサ島」https://kotobank.jp/word/イビサ島-32013(最終閲覧:2019年10月18日), kiminemaiさんは、はてなブログを使っています。あなたもはてなブログをはじめてみませんか?, Powered by Hatena Blog 合唱の入った「ダンテ交響曲」は、文学との関わりの深かったリストによる作品。1856年の最初の段階では、ダンテの『神曲』のうち、はじめの「地獄」、「煉獄」の第2章までしか作曲されていなかったそ … ダンテ交響曲(ダンテの『神曲』による交響曲) s.109 ワイマール国民劇場合唱団、合唱指揮:マリアンナ・ヴォーザ(3) イェーナ・フィルハーモニー少年合唱団、合唱指揮:ベリト・ヴァルター(3) シュターツカペレ・ワイマール Copyright © 2020-2021 映画片手に夜間飛行 All Rights Reserved. 神曲はダンテの書いた雄大な構想を持った詩の大作。 歴史的にも最も深い内容をたたえた詩とされる。 詩の中にさまざまの人間の感情、哲学やキリスト教信仰、芸術や政治、人間の罪と罰、神の愛と正義等々実に多方面の内容がそこに含まれている。 | 投稿者:無冠 投稿日:2016年10月25日(火)20時56分38秒 通報 全集未収録の特別文化講座『創立者 ダンテを語る』を掲示します。 2008-4-23 創価学園 特別文化講座 創立者 ダンテを語る③ フィレンツェを追放されたダンテ わが故郷は世界! 善の勝利へ! 作曲の経緯. 神曲 地獄篇からダンテのすごさを実感 ... ポップ ¥250 provided courtesy of iTunes 好きな曲で何度もリピートして聞いていましたが、 ふと歌詞が気になって調べていみたところ、、衝撃だったのです。 … リストは若い頃からダンテの愛読者であり、1837年にはピアノ曲『ダンテを読んで』(『巡礼の年』第2年)の第1稿を書いている。 『神曲』による交響曲も早い時期に構想しており、1847年頃にはすでに主要な主題のスケッチを行っていたが、本格的な着手は1855年になってからである。 神曲がイラスト付きでわかる! 神曲とは、神懸かりめいて素晴らしい楽曲に対して付けられる敬称。または一部エンターテインメント作品のタイトル。 曖昧さ回避 +人智を超えた存在が作ったような素晴らしい楽曲に対して付けられる敬称。『かみきょく』 +ダンテ・アリギエーリ制作の戯曲。 投稿者:無冠 投稿日:2016年10月26日(水)07時20分42秒 通報 全集未収録の特別文化講座『創立者 ダンテを語る』を掲示します。 2008-4-23 創価学園 特別文化講座 創立者 ダンテを語る④ 君たちの 名前を一生 忘れまじ 私の心に 栄光眩(まばゆ)く 本記事は「R Sound Design氏の「神曲」について」*1の増補改訂版です。, 「神曲」はR Sound Design氏が作詞作曲した楽曲で,ボーカロイド初音ミクに歌わせたもの*2がある。動画説明欄に『ウィキペディア日本語版「神曲」』(2019年)*3のリンクが貼られていることや題名のDante,歌詞の内容から分かるように,イタリアの詩人ダンテの『神曲』(特に地獄篇)を題材とした楽曲である。, 本記事では楽曲「神曲」の歌詞をその元となったダンテの『神曲』に照らして解釈する。なお,歌詞解釈の性質上すべての歌詞を引用することになるが,あくまで解釈著述が主であり引用は必要不可欠なので著作権法上の適切であることをお断りしておく。歌詞はyoutubeにあげられている「神曲/R Sound Design feat. 4番=「ダンテ」はルネサンスの先駆となったイタリアの詩人 (1265~1321) 。代表作は『神曲』『新生』。 ダンテは最初「コレッヂ」だったが、日本人にはあまり知られていない詩人だったため、いつからかダンテに替えて歌われるようになった。 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 - 神曲の用語解説 - イタリアの詩人ダンテの叙事詩。 1307~21年作。「地獄編」 Inferno,「煉獄編」 Purgatorio,「天国編」 Paradisoの3部から構成され,各編が 33歌に分れ,地獄編の序詩を加えて 100歌,1万 4233行から成る。
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